「表現すること」と哲学者ヘーゲル・・・そしてザッケローニ監督

このブログも昨年12月から再開して、なんとか半年ほど続いている・・・。

(これも皆様のアクセス数が励みにもなっている、感謝です)

ところで、「文章を書く」ことや「絵を描く」ということは、自分自身の確認にもなる。

自分自身を知ることにつながる。

そのことは、哲学者ヘーゲルが言っていた。

「表現する」ことによって、「文章」とか「絵」とか「彫刻」といった「もの」ができる。

それらの「表現されたもの」「客観化されたもの」が、今度は、「表現した人(作者)」に語りかけてくる。

「語りかけてくる」というよりも、もっと強い。

「表現したもの」によって、初めて「自己を知る」ことができる。

これもヘーゲルの言う「弁証法」の論理でもある(ヘーゲルは、「美学」の分野でも著名だ)。

ここからはちょっと脱線・・・。

今夜は、W杯最終予選でサッカー日本代表がオーストラリアと激突する。

楽しみだ。

この日本代表を率いるのがイタリア人のザッケローニ監督だ。

彼は、先日のオマーン戦の前に報道陣から「作戦」を聞かれて面白いことを言った。

「ソクラテスのようになりたくないから、あまり喋りたくない・・・」と。

我々の知識だと、「ソクラテス」、「正義を貫いて死を選んだ哲人」などと思う。

しかし、イタリア人のザッケローニにとっては、「余計なことを喋って、死ななければならなくなった運の悪い?人」という意味になるらしい・・・!?

ともあれ、日本代表の勝利を祈る。

哲学者つながりの脱線でした。失礼。